霊園側に毎年支払う管理費


霊園側に毎年支払う管理費ブログ:01月31日


子供の頃は土用の鰻など知らなかったが、
成長期に食べたものの中で
鰻ほど僕の印象に残るものは無い。

なかなか食べられなかったということもあるが、
それ以上に僕にとって鰻といえば、
お父さんのお土産である。

僕が小学生の頃のこと…
お父さんが飲んだ帰りに、駅の近くの小さな料理屋で、
時々持ち帰りの鰻を買ってくることがあった。

18時の10時過ぎ、
仕事終わりにお酒を飲んで、
酔ったお父さんが帰ってくる。

帰って来たお父さんの手にはビニールの袋が下げられ、
その袋の中には包装紙に包まれた鰻重の箱が四つ、
重ねられて入っている。

小学生だった僕は、
お父さんの帰る頃にはもう布団の中であったから、
次の日の9時それを食べることになるわけである。

9時になると母が包装紙を開け、
ホイルの上に箱の中身をそのまま取り出し、
蒸し器で十分蒸したあと、
また同じように箱に詰める。

その上から、
小さな容器に入ったタレをかけて食べる…

子供ながらに、
これはとても美味いものだというのはわかっていた。
ひと口ひと口、大事に食べていたように思う。

箱の底は銀色をしているのだが、
僕は食べながらも、
銀色が見えてくるのが
非常に勿体無いような気がしていた。

底にボンヤリと映る自分の顔を少し残念な気持ちで、
口を動かしながら見つめていたことを覚えている。

起きてきて鰻重の箱を発見した時の嬉しさというのは、
憂鬱な9時を少しだけ幸せな気持ちにしてくれた。

その包装紙の模様もまた独特で、
よくは覚えていないが
確か白地に、緑や黒の家紋のようなものが
規則正しく描かれていたように思う。

僕はその模様をみつけると意地汚い性分で、
顔を洗うよりも先にそちらに手をかけ、
母親によく怒られていた。