霊園側に毎年支払う管理費ブログ:09月29日
私のパパは近所の娘から
「調子乗りのおっちゃん」と呼ばれている。
パパは出勤時に
登校中の児童にむかっておどけてみせる。
それが娘達のツボにはまるらしく、
みんな笑い転げるのだ。
私は、娘の頃
恥ずかしくて仕方なかった。
ある日、道の角を曲がると
「ぐわあぁぁ」と叫びながら
倒れるパパと目が合った。
パパの目からは切羽詰った様子が伺え、
私はうろたえた。
しかしふと前を見ると
戦隊もののおもちゃを手にした娘たちがいる。
パパは戦隊ごっこの悪役をしていたのだ。
パパの切羽詰った様子は、
いるはずのないむすめと目が合ったこと、
しかしクライマックスの悪役が倒れるシーンを
全うしなければいけないという責任感の挟間から生まれたようだ。
私が大人になっても
パパは喜々として近所の娘と遊んでいた。
私はパパの行動を諦めていたが、
やめて欲しい気持ちはおさまらなかった。
そんなパパが癌の告知を受けた。
本人は手術を拒んだが、幸い転移もなかったので
癌を摘出すれば短期間で治療可能、再発も無いとのことだった。
家族全員で摘出を勧め、
パパは文字通り泣く泣く承諾した。
陽気なパパが泣くのを見たのは初めてだった。
手術の日、私は施術後に立ち会えた。
運ばれてきたパパは薄く麻酔が効き、目は半開き…
そのパパの前で主治医から成功した旨が伝えられた。
ふとパパに目をやると、信じられない光景があった。
麻酔で眠っているはずのパパの手がいつの間にか布から出て、
ピースサインになっていたのだ。
その場は笑いに包まれた。
パパはいつでもどこでも
「調子乗りのおっちゃん」だった。
意識がほぼ無かろうが、
家族に大丈夫だと伝えようとして動いた手…
その温かさに笑っていた私の目から涙がこぼれた。