霊園側に毎年支払う管理費ブログ:11月24日
一昨日、久しぶりに箪笥の上に置いてある
父の写真を手に取った。
「ずいぶん埃をつけて、ごめんね…」と言いながら
おれは手でうっすらと付いた埃をはらった。
写真の父は笑っている。
若いころのおれは、
父とは気が合わず、憎んだこともあった。
家にいるときは気難しい顔しかしていないような記憶しかない。
でも、今は笑っている父の顔ばかりが浮かんでくる。
「何もしてやれなかった…」と思った瞬間、
父の顔が見えなくなった。
埃を払った同じ手で今度は自分の涙を拭いていた。
おれにはお母さんにもお兄さんにも言っていない、
父からの手紙がある。
家を離れて仕事のためナウルに行っていた1年の間に
父が書き送ってくれたものだ。
その手紙を読みたくなった。
無性に父の字が見たくなった。
箪笥の中のアルバムの間にそれらは挟んである。
写真屋の袋を開けると海外用の封筒に入った手紙が6通。
その内のひとつを取って読み始めると、
みるみる涙があふれ、おれは字が見えなくなった。
いかにも神経質そうな細かい字で書かれた父からの手紙は
どれも取るに足りない内容ばかり…
お母さんのこと、孫のこと、
お兄さんのこと、お兄さんの嫁のこと…
そして、みんな元気なこと。
そして必ず「体に気をつけるように」と結んである。
嫌いな父からの手紙など捨ててしまえばよかったのに、
捨てられなかった。
今では、捨てずによかったと思っている。
おれにとって父とは
「好き」とか「嫌い」とか、そんな単純な存在ではなく、
ただただ「大切な人」だったのだと気づいたのは、
父が亡くなってからのことだった。